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これまでと同じではいられない


書き残しておこうと書き始めては、言葉にならずノートパソコンをパタンと閉じる日々。 そうだ、過去にも、言葉にならぬ心情を記そうとしたことがあったと、ほこり払って引っ張ってきました。 ここから始めれば書けるかも。

■ 神戸の震災から10年たった日(=6年前)Mixiに書いた日記:
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ここ数日、10年前の夢を見る。 2005年01月17日

当日やその瞬間でなく、少し経ってからのコトや情景。
自宅のある東灘は震度7の激震ではあったが、身内に怪我人もなく、自宅も半壊ですんだ。
避難所暮らしもせず、ライフラインが戻る4月まで、平日はホテル暮らし。 大切な人や全てを失った人が多い中、悲しむことは気がひけた。
だけれど、埋めようのない喪失感。
「西宮まで行けば電車が動いてるらしい」と聞き、3日目の朝、夙川まで歩いた。生まれ育った世界が根こそぎ壊れてしまっている…。
一部復旧した電車を乗り継ぎ、三宮から代替バスで自宅へ戻る時の、むき出しの開いた傷口をたどるような、たまらない気持ち。
元町で、勤めていたビルをショベルカーが大きく削りとるのを目の当りにした時の、自分自身がえぐりとられるような感覚。

朝日新聞の村上春樹の寄稿に、まさに心情を言い得ている一文があった。
「自分の中にある大事な源のようなものが揺さぶられ崩れ、焼かれ、個人的な時間軸が剥離されてしまったみたいな、生々しい感覚」
そして、
「精神のある種の地域的特性(阪神間性)のようなものは、たぶん死ぬまで消えないだろう」 とも。

震災後、木々の芽吹きが嬉しく、幼な子が歩く姿が眩しく、無事である日々の暮らしをつくづくいとおしく感じる。
単に、そういう年齢になっただけなのかも知れないけれど。

4年経ち、村上春樹は「神の子どもたちはみな踊る」を書いた。
凡人である私は、自分の中の喪失感に、10年たった今もオトシマエをつけれずにいる。

■ 友人がくれたコメント:
高村薫が出演している番組を見たけれど、彼女もオトシマエをつけられていません。もう、ミステリーを書く気はないと言っていました。普通に生きている普通の人たちを書きたいと。たとえそれが『マークスの山』や『レディジョーカー』のように売れなくても。私は『照柿』から、なんかミステリーっぽくなくて純文学だなー と思っていたので、『春子情歌』はその作家としての必然的な流れなのかと思ってたら、実は震災の影響だったのでした。胸を突かれた気分です。いま、『春子情歌』の続編を書いているそうです。だからってわけじゃないけど、オトシマエなんて、つけなくていいんじゃないのかな。
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これを書いてからさらに6年経った今も、ずっと私の中の深いところでくすぶり続けています。
震度7に揺られ、いろんなモノやコトがむき出しになり、自分の中で何かが覆りました。消費する暮らしが意味ないものに思え、仕事も、単なる「商品」をつくる気が失せてしまったのです。
これまでと同じではもういられない。
せっかくどこの組織にも属さない生き方を選んだのだから、自分の時間を全て自分でマネージメントできる。これからの自分の時間をどう使うのか…。
自分の人生の時間を、少しでも社会を未来を良くすることに費やしたい。何も大きなことではなく、身の丈にあったことで。
で、少しづつシフトして、2001年に自分の事務所を持った辺りからは、気持ちに沿う時間の使い方になりました。

16年前の阪神の震災はローカルなできごとでした。世間の関心はすぐサリン事件に移ったし、私も外の人に震災の話をすることはありませんでした。
神戸は、街並みはほぼ復旧したけれど、残念ながら、特色ない一地方都市となりました。
でも人については、あの震災をくぐり、これまでと違うモノサシで考え行動する揺るがない人をたくさん生んだと思います。
元からあった傾向や気質が、震災によって強化された感じ。
私に限って言えば、人から偽善と言われようがおめでたい理想主義者と言われようが「勝手に言えばいいや」と神経まで太くなりました。

今回の大震災は、日本中の皆が「当事者」で、揺さぶられ心を傷めています。皆がこの国をこれからどうするのか、自分は何をできるのかを考え、行動し始めています。
大企業のトップも、家庭で子どもを守る人も、それぞれが自分の持ち場で、身の丈にあったことで、自分の心の声に従い自分にできることをする。それらが繋がり、新しい日本を皆でつくってゆけると信じます。
私も、子どもたちが幸せになる一助を自分が得意なことで少しでも担えるよう、日々の仕事を愚直に続けます。

お花見2011@夙川


駅で待ち合わせて、まずゆっくりランチ。
それからおもむろに、川べりをそぞろ歩くだけの軟弱なお花見。
学生時代からの友人と何10回も繰り返している毎年の恒例です。
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同じであることのかけがえなさを、しみじみと感じます。
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この細長い小さな島国を、北上しながらいっぱいの桜で彩っていく春。
東北の皆さんの心を、どうぞいくらかでも和らげてくれますように。