ピッケに直接は関係ないかもですが、覚えておきたいので書き留めておきます。
NHK ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界」主に磯田道史さん発言のメモ。 (収録は3/27,OAは昨日4/4)
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疫病の政治利用がかつてもあった。スペイン風邪の流行時、実態を伝えない情報統制下の参戦国に対して、中立国スペインでは情報を出したため、「スペインで妙な風邪が流行っている、スペイン風邪だ」となった。ペスト流行時には、それを口実に列強が中国に軍隊を送ろうとした。
スペイン風邪(1918-1920年)のまとまった記録が無い。文学作品にもほとんど書かれていない。
与謝野晶子
「盗人を見てから縄をなうというような日本人の便宜主義がこういう場合にも目につきます」
「政府はなぜいち早くこの危険を防止するために…多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか」『感冒の床から』
スペイン風邪の時、台湾で力士が感染。演劇人の島村抱月も亡くなる。しかし興行ものは止められることがほとんどない。力士が次々スペイン風邪にかかっても相撲興行は続けられた。今回は無観客観戦。歴史の教訓が生きている。密集の排除と移動の遮断は行わなければならない。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏 「この危機の時代に、私たちは重要な2つの選択を迫られている」
1) 全体主義的な監視か市民に力を与えるエンパワメントか。
(中国のように)国家がテクノロジーを駆使し人々の行動を監視し制限すべきか。あるいは(台湾のように)情報の徹底公開で人々の不安を取り除き、市民の自己決定力を高めるのか。
2) 国家主義による孤立かグローバルな連帯か。
パンデミックに対して自国の利害を優先するのか、それとも国際的に連帯して対処するのか。
(Financial Timesより) ( ** のように)部分は朝倉の補記
価値観も変わるかも。今は自由や人権を尊重する価値観。しかし感染者を封じ込めるという点だけにおいてはその価値観では必ずしも抑えきれない現実を見てしまったら…。権威主義国家(法に拠らず人の支配による上からの強い統制と服従により統治する国家)が勝利をおさめたと言い始めた場合、価値観自体が変わる恐れもある。
人類共通の課題が現れた今、新しい形の国の守り方を考えないといけない。かつて19世紀は自国主義。国民国家が近代兵器を使って戦いあった。自衛隊がクルーズ船に入っても感染しなかったのは生物化学兵器に対する備えがあったから。国を守るのは、戦闘機など兵器ばかりとは限らない。例えば最新式のマスク、人工心肺装置など国民を防護できる装備を国家が備える、国民が「税金を払って良かった」と思える国づくりが、21世紀なかば以降の国家のあり方かもしれない。
ウィルス変異はこれまで国家レベルの研究対象だった。しかしゲノム編集さえ可能になったAI時代の今、もっと小さな集団がひょっとするとテロさえ起こしうる。そんな世界を生きなければならない私たちの将来にとって大事なものは何なのか。歴史の教訓からも学びつつ、真剣に、文化、安全保障、価値観といった深いレベルで考えるべき。
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以上、自分の解釈に引き寄せてのメモゆえ不正確です。
「長尺の視点をもつ」はこれまでもピッケで心がけていることではありますが、過去にも未来にも長尺の視点もって今を生きると心したい、価値観を何において生きるかは大事と改めて思っています。