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シンチャオ!(ベトナム紀行3 ホーチミン、ミトー)


「ベトナムは南北に細長く、
 ハノイとホーチミンでは気候もかなり違う」
とは聞いていたのですが、気候はもちろんですが、
北と南でここまで違うのは、驚きでした。
ハノイに比べ、ホーチミンは大都会で、
一見、シンガポールかと思うほどでした。
(首都はハノイ、経済的中心がホーチミン=旧サイゴン。)

ガイドさん曰く、ホーチミンはアメリカの街。
建物も、フランス統治時代のオペラハウスなども残っていますが、
近代的な高層ビルが立ち並び、幹線道路は整備され、
シャネル、ディオールなどブランドの路面店も目につきました。

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       かつてのオペラハウスは市民劇場に。

平均的な月収は、日本円にしてハノイで約1万5千円、
ホーチミンは約5万円。
ハノイからホーチミンへ出稼ぎにくる人も多いそうです。
ハノイでは、朝は早いけれど、昼は2時間休み、残業無し。
対して、ホーチミンの人はよく働きます。
とても社会主義国家とは思えないほど。
国営の郵便局まで、365日年中無休、朝6時~夜21時!

たった21年の断絶、統合されてから30年以上たつのに、
まるで別の国のようです。

日帰りで、ミトーのメコン河クルーズ。河幅3km!
チベットを源に、中国雲南省、タイ・ラオス国境線、カンボジア、
そしてベトナム、と流れてきた大河です。

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「この浮き草は、カンボジアから流れてきました。」
「この土は、**(忘)のものです。」
さらには、「(上流である)中国に大きなダムができるので、
 政治的紛争にもつながる可能性もある」 とも。
ガイドさんの言葉、意識のもち方は、
陸続きの隣国をもたない平和ぼけ日本人の私には、
考えさせられるものがありました。

同じガイドさんから
「日本の橋落ちました。たくさんの人死にました。」
と言われたときは、返す言葉がなく胸が痛みました。
(昨年のカントー橋崩落事故)

中洲(と言っても、日本の感覚では、りっぱに「島」)にも上陸。

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   バナナは地元の人は喜ばないそう。どこにでも生るので。
   ハンモックで赤ちゃんがお昼寝。(かなりのスピードで揺れています)

統一会堂、ホーチミン市博物館などへも行きました。
1966年生まれのガイドさんは、
終戦の75年、9歳までを防空壕ですごしたそう。
戦中に生まれ、それからずーっと!です。
はじめてベッドで寝た夜の、手足を伸ばす気持ちよさ、
星空の美しさを、今でも忘れないと話してくれました。
統一会堂内を案内してくれる間
「ホーチミンさんのおかげ」というフレーズが
10回以上出てきました。
このガイドさんに限らず、市民共通の思いのようです。

ハノイと比べて、バイクが多いことは同じですが、
排気ガスはぐんとましです。
市街は、歩道があり、車もクラクション鳴らしっぱなしという
ほどではないので、ハノイに比べると街歩きしやすいです。

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とはいえ、バイク、シクロ、車が混然となっているので、横断は大変。

バイクは大人2人乗りOK。+子ども可。
(ハノイのガイドさんは、「子ども無制限」と言ってましたが
 真偽不明。)
うまくすすめば、年内着工8年後には地下鉄が通り
バイクの市街地への乗り入れはできなくなるとのこと。

ベトナム(ホーチミンだけ?)では、
教養として社交ダンスを習うのだそうです。
夜、バスの車窓から、公民館のような建物の広いテラスで
大勢の男女がレッスンしている様子を見ました。
いろんな行事の折々に踊るのだそうで、素敵ですね。

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  映画館。ホラー、ラブストーリー、コメディなど多彩。

まだ続きます。多分、あと1回。