ハノイではそう感じませんでしたが、ホーチミンでは
いろんな顔の人がいました。
全部で54の民族、うち9割がキン族(狭義のベト人)。
顔を見ているだけでも、他民族の国なのだなと実感します。
ホーチミンにも中国人街があって、活気にあふれていました。
(漢字の看板が多いので、それとわかります。)
「ベトナム人は商売が下手、中国人は上手。
ホーチミンの経済的発展は、中国系市民の力が大きい。」
とガイドさんが言っていました。
神戸の震災のときも、中華街の立ち上がりの早さは
眼をみはるものがありました。
世界中の都市にある中華街を見ても、中国の人には
強力な生き抜く術や意志が備わっているのかもしれません。
街のあちこちに、気になるデザインがいっぱい。
もっとちゃんと撮ればよかった。
中央郵便局 外観
中央郵便局 窓や床タイルのデザインが素敵
ランチをとったベトナム料理店内装
宗教は、仏教、ヒンズー教、キリスト教。
埋葬は、土葬が多く、貧しい層だけが、火葬にするそうです。
(土葬は、日が経ってから再度掘り出すようなことを
確か言っていました。)
棺おけ&葬儀業界は、今右肩上がりだそう。
ハロン湾に行った日、「今日は満月で殺生をしない日」
と教えてもらいました。(私たちは食べましたが。)
その日は、肉や魚の値段がぐんと安くなるのだそうです。
(ちなみに、ハノイでは、一番安いのは牛、次が豚。
鶏は高いので、特別な日にしか食べないそうです。
ホーチミンでは、この順ではなかったです。)
ベンタイン市場
毎日毎食新鮮な果物をいただきました。
赤ちゃんと出産間近の妊婦さん(大きなお腹で働いている)
をやけに見かけると思ったら、今年は60年に1度の「金の豚」で、
テト(旧正月)までの出産を目指す人が多いとのこと。
豚年=日本で言う猪年。
「金の豚」生まれは、幸せになれるのだそう。
日本の丙午の反対ですね。
職場でも産休の人が増えて調整が大変、病院も満床状態とのこと。
ホーチミン市街の保育園
どこでも、女性の働く姿を眼にしました。対して、
昼間のカフェで、コーヒーを飲みタバコをくゆらしているのは
男性が多いように感じました。
![Img080113_1 Img080113_1](/cocoimg/img080113_1.jpg)
買い物も楽しみました。
日本語の「雑貨」が、そのままの意味で浸透しているようで、
店名の下に「Fashion & Zakka」と書かれていたり
「Zakka」そのままが店名になっていたり。
果物、肉、魚、パン、ジュース、民芸品、宝くじ、いろんなものが売られていました。
美しいです
香港や中国でもよく見ますが、新郎新婦の記念撮影が
街の随所で行われていました。
ベトナムで慶事の色は赤色だそうで、博物館で見た
伝統的花嫁衣裳は赤色でしたが、街で見かけた花嫁さんの
ウェディングドレスはみな白色でした。
![Img080113_11 Img080113_11](/cocoimg/img080113_11.jpg)
今回の旅で何が楽しかったかと振り返ると、
名所や街並み、料理(ベトナム料理はとっても好み)、
シルク、刺繍などのアオザイや雑貨、陶器のお買い物…
魅力的なものばかり。
でも何より、ベトナムの「人」がよかったです。
短期の旅で地元の人に触れることはなく、いくらかまとまった
話を聞けたのは何人かのガイドさんだけですが、
ホテルやお店で接する人たちにも垣間見られる
誠実な感じ、働き者な感じが、とても好ましかったです。
あるブティックの店員さんは、3年間福山のマツダの工場で
働いていたと話していました。
ハノイでお世話になった流暢な日本語を話すガイドさんは、
大学の4年間で日本語を身につけたそうで、
外国はもとより、ハノイの外にも出たことがないそう。
ホーチミンのガイドさんは、1年の独学で習得、
今は 日本の歴史を勉強中とのこと。
働く女性が多く、時に乳飲み子をあやしながら、時に大きなお腹で。
帰宅を急ぐラッシュアワー
男女とも肥満の人をまったく見ませんでした。
それは、民族的な体質や食べるものの影響などもあるだろうけれど、
内面を反映してるんじゃないかと思ったりもしました。
姿勢よく歩く姿は美しいです。
自分がいかに歴史を知らないか、世界の中の日本という視点を
もっていないかも、改めて痛感させられました。
暮れなずむ空と市民劇場。旅ももうおわり…
また行きたいです。こんどはゆっくり。
海辺の町や山間部の少数民族の村もたずねてみたいです。