Monthly Archives: 1月 2008

記事掲載のおしらせ


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1/26 発売の「AERA with Baby vol.4」で、ご紹介いただきました。
「ベビーとの暮らしを彩る7つのキーワード」というページの
1番目のキーワード「Baby meets internet」。

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  142ページ=ずーっと後ろの方、裏表紙から3枚目です。

同じ号に、小学校6年の1年間、図工を教えていただいた
東山明先生も登場なさっていて、なんだか嬉しいです!
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ご専門の「子どもの絵の成長」について、具体例を示しながら
わかりやすく話されています。
当時から「信じて見守る」姿勢の、とっても優しい先生でした。

本屋さんで、ぜひ手にとってみてくださいね。

1/25 発行の「朝日ファミリー」でも、取り上げていただきました。
江口記者が、わざわざキッズプラザ大阪まで出かけて、
ピッケと遊ぶ女の子&パパの様子も撮ってきてくださいました。
「親子のコミュニケーションを深める今どきの遊びと子育てのヒント」
という ドンピシャの記事にまとめてくださっています。

ところで「朝日ファミリー」と聞いても、「?」な方も多いことでしょう。
私には親しみあるコミュニティー紙なのですが、
配布エリアが、神戸は東灘区のみ~阪神間~北摂 だけ
という、超ローカルなフリーペーパーなのでした。
(朝日新聞に折り込まれて届く。芦屋と西宮は全戸配布。)

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掲載記事はこちら

金刀比羅さん


書院の特別公開展へ行ってきました。
会期中最終の日曜で、混雑覚悟だったのですが、
朝のうちはどこも空いていました。
(団体バスが着く10時頃からは大混雑)

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  朝8時の参道は、人影もまばら。

大門をくぐったところに、茶席のような日傘&床机が5つ、
女性がべっこう飴「加美代飴」を売っています。

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「五人百姓」境内での営業許可を代々もつ特別な5家。

書院へ直行。
応挙の虎のちょっとユーモラスな顔、
山水の間の襖絵~庭への連なり、
白地に描かれた白い富士、次の間の裾野で狩をする絵との遠近、
若冲の緻密に美しい花たち…。
襖絵は襖絵として、天井画は天井画として、
庭を眺め、畳にすわって、ゆっくり観てきました。
切り取られ運ばれガラスケースに並べられた「展示」ではなく
そのもののあるべき場所で味わえる贅沢、
思い切って出かけてヨカッタです。
(撮影できないので画像がなくて、ごめんなさい)

白書院では、田窪恭治氏によって、椿の襖絵と障壁画が製作中。
3年後に完成予定。
しっくいの白壁と真っ白の襖で長く使われてきた白書院。
そこに、赤&緑の大胆な椿の絵を描くと決めた金刀比羅さんの勇気。
スゴイです。
庭先の椿はまだでしたが、椿らしからぬ大きな樹に育っていて
見事な花をつけるそうです。

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その椿のタイルを内装に使ったのが、カフェ。
なんと、資生堂パーラーです。
庭の椿~白書院~この新茶所、大きな「椿」リンクの仕掛け。

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洗面所には、金刀比羅さんと資生堂のコラボ商品(香水)の
テスターまで置いてありました。 その名も「琴娘」。
 左は、WC入り口のサイン。

いきなり休憩してしまいましたが、いざ出発。

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1368段を登りきりました。奥社着。まだ雪も残っています。

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讃岐平野を一望できます。

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おみくじ。
その昔、首に、お金や名前を書いたお札や入れた袋を下げて
飼い主の代理で旅したという犬がデザインされていて、可愛いです。

金壹百萬円、金弐百萬円、金参百萬円、、、。
並ぶ寄進の石碑を横目に、ひたすら下ります。
さすがに海運や漁業関連が多いです。あと個人。

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幸福の黄色い3守りは、普通サイズとミニサイズとミニミニサイズのセット。
あらゆるポップは黄色で統一されています。

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斬新な新社務所は村野藤吾賞受賞だそう。
高橋由一館の油彩画のコレクションも充実でした。
書院といい、収蔵品といい、お金にものをいわせやたらに
というのではなく、肥えた眼で斬新な取り組みをしてきた集積
という印象です。
江戸時代の応挙や若冲も、その時代の最先端、
現代の田窪氏の椿にしても、果敢な取り組み。
歴代の宮司さんの文化への造詣がとても深かったのでしょう。

金刀比羅さん、おそるべし!です。

絶景かなぁ~


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すきま時間に、初春大歌舞伎を一幕見席で観てきました。
舞台は遠ーーいけれど、始まってしまえば引き込まれます。
(ただ当然、花道は見えず舞台の上部も見えません。)

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        一幕見席は4階にあります

「けいせい浜真砂」南禅寺山門の場
あさぎ幕が落ちると、満開の桜に彩られた南禅寺山門、
絢爛豪華です。
山門ごとせりあがるセットは華やかに大仕掛け、
斜め上から見ているので、仕組みがよくわかります。(負け惜しみ)
真砂路の雀右衛門は、さすがにセリフは聞き取りにくいけれど
「絶景かなぁ~」の名ゼリフが聞けて、ちょっと嬉しい。
「魚屋宗五郎」 酔いがすすんでいく表現がさすが。
「お祭り」 團十郎のイナセな舞いが素敵でした。
獅子舞も登場して、いかにも新春。

これだけ観て、たったの1800円。
映画を観る気軽さで本物が楽しめるのは、嬉しいです。

ピッケのこばこ


「ピッケのがんばるシール、無くしやすいので入れ物がほしい」
ということで、作ったのがこの小箱です。

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小さいのは、森のシールを入れるのにぴったり。
折り方は、昔から伝承の折り方です。
内底の4隅が集まる部分を、花の小片で留めるようしてみました。
お名前も入りますよ。

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大きいのは、空のシール用。
できあがり約7×7×3.5cmの上記の箱では、
大きいサイズが多い空のシールは入らなくて、
別の折り方にしました。
こっちは、どう折るかかなり悩んで作成。

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作ってみてくださいね!

>> 「ピッケのこばこ」は こちら
>> こばこ(もり)の作り方(pdf)は こちら
>> こばこ(そら)の作り方(pdf)は こちら

がんばるを応援します


新しい年、
新しいコトに挑戦する子どもたちも多いことでしょう。

そこで、ピッケの「がんばるシート&シール」のご紹介です。

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   シールシート1枚(中央)と台紙2枚。

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   シールシートは、四角く切り離します。

台紙は、できれば厚手の紙にプリントしてください。
シールは、もしあれば、シール用の粘着用紙で。
なければ、普通の用紙を使い、のりやセロハンテープで
貼り付けてもOKです。

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    何をがんばるか、入れられます。

トイレができたら、ピーマンを食べれたら、ひとり寝ができたら…
いま取り組んでいる「できた!」1回で、シールを1枚、ペタッ。
子どもたちの「がんばる」を応援するシールです。

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   全部貼り終わると、こんな感じ。

>> ピッケの「がんばるシート&シール」は こちら
>> 「がんばるシート&シール」の使い方は こちら

シンチャオ!(ベトナム紀行4 ホーチミン)


ハノイではそう感じませんでしたが、ホーチミンでは
いろんな顔の人がいました。
全部で54の民族、うち9割がキン族(狭義のベト人)。
顔を見ているだけでも、他民族の国なのだなと実感します。

ホーチミンにも中国人街があって、活気にあふれていました。
(漢字の看板が多いので、それとわかります。)
「ベトナム人は商売が下手、中国人は上手。
 ホーチミンの経済的発展は、中国系市民の力が大きい。」
とガイドさんが言っていました。
神戸の震災のときも、中華街の立ち上がりの早さは
眼をみはるものがありました。
世界中の都市にある中華街を見ても、中国の人には
強力な生き抜く術や意志が備わっているのかもしれません。

街のあちこちに、気になるデザインがいっぱい。
もっとちゃんと撮ればよかった。

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        中央郵便局 外観

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        中央郵便局 窓や床タイルのデザインが素敵

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          ランチをとったベトナム料理店内装

宗教は、仏教、ヒンズー教、キリスト教。
埋葬は、土葬が多く、貧しい層だけが、火葬にするそうです。
(土葬は、日が経ってから再度掘り出すようなことを
 確か言っていました。)
棺おけ&葬儀業界は、今右肩上がりだそう。

ハロン湾に行った日、「今日は満月で殺生をしない日」
と教えてもらいました。(私たちは食べましたが。)
その日は、肉や魚の値段がぐんと安くなるのだそうです。
(ちなみに、ハノイでは、一番安いのは牛、次が豚。
 鶏は高いので、特別な日にしか食べないそうです。
 ホーチミンでは、この順ではなかったです。)

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         ベンタイン市場
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  毎日毎食新鮮な果物をいただきました。

赤ちゃんと出産間近の妊婦さん(大きなお腹で働いている)
をやけに見かけると思ったら、今年は60年に1度の「金の豚」で、
テト(旧正月)までの出産を目指す人が多いとのこと。
豚年=日本で言う猪年。
「金の豚」生まれは、幸せになれるのだそう。
日本の丙午の反対ですね。
職場でも産休の人が増えて調整が大変、病院も満床状態とのこと。

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       ホーチミン市街の保育園

どこでも、女性の働く姿を眼にしました。対して、
昼間のカフェで、コーヒーを飲みタバコをくゆらしているのは
男性が多いように感じました。

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買い物も楽しみました。
日本語の「雑貨」が、そのままの意味で浸透しているようで、
店名の下に「Fashion & Zakka」と書かれていたり
「Zakka」そのままが店名になっていたり。

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 果物、肉、魚、パン、ジュース、民芸品、宝くじ、いろんなものが売られていました。

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   美しいです

香港や中国でもよく見ますが、新郎新婦の記念撮影が
街の随所で行われていました。
ベトナムで慶事の色は赤色だそうで、博物館で見た
伝統的花嫁衣裳は赤色でしたが、街で見かけた花嫁さんの
ウェディングドレスはみな白色でした。

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今回の旅で何が楽しかったかと振り返ると、
名所や街並み、料理(ベトナム料理はとっても好み)、
シルク、刺繍などのアオザイや雑貨、陶器のお買い物…
魅力的なものばかり。
でも何より、ベトナムの「人」がよかったです。

短期の旅で地元の人に触れることはなく、いくらかまとまった
話を聞けたのは何人かのガイドさんだけですが、
ホテルやお店で接する人たちにも垣間見られる
誠実な感じ、働き者な感じが、とても好ましかったです。

あるブティックの店員さんは、3年間福山のマツダの工場で
働いていたと話していました。
ハノイでお世話になった流暢な日本語を話すガイドさんは、
大学の4年間で日本語を身につけたそうで、
外国はもとより、ハノイの外にも出たことがないそう。
ホーチミンのガイドさんは、1年の独学で習得、
今は 日本の歴史を勉強中とのこと。

働く女性が多く、時に乳飲み子をあやしながら、時に大きなお腹で。

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   帰宅を急ぐラッシュアワー

男女とも肥満の人をまったく見ませんでした。
それは、民族的な体質や食べるものの影響などもあるだろうけれど、
内面を反映してるんじゃないかと思ったりもしました。
姿勢よく歩く姿は美しいです。

自分がいかに歴史を知らないか、世界の中の日本という視点を
もっていないかも、改めて痛感させられました。

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  暮れなずむ空と市民劇場。旅ももうおわり…

また行きたいです。こんどはゆっくり。
海辺の町や山間部の少数民族の村もたずねてみたいです。

シンチャオ!(ベトナム紀行3 ホーチミン、ミトー)


「ベトナムは南北に細長く、
 ハノイとホーチミンでは気候もかなり違う」
とは聞いていたのですが、気候はもちろんですが、
北と南でここまで違うのは、驚きでした。
ハノイに比べ、ホーチミンは大都会で、
一見、シンガポールかと思うほどでした。
(首都はハノイ、経済的中心がホーチミン=旧サイゴン。)

ガイドさん曰く、ホーチミンはアメリカの街。
建物も、フランス統治時代のオペラハウスなども残っていますが、
近代的な高層ビルが立ち並び、幹線道路は整備され、
シャネル、ディオールなどブランドの路面店も目につきました。

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       かつてのオペラハウスは市民劇場に。

平均的な月収は、日本円にしてハノイで約1万5千円、
ホーチミンは約5万円。
ハノイからホーチミンへ出稼ぎにくる人も多いそうです。
ハノイでは、朝は早いけれど、昼は2時間休み、残業無し。
対して、ホーチミンの人はよく働きます。
とても社会主義国家とは思えないほど。
国営の郵便局まで、365日年中無休、朝6時~夜21時!

たった21年の断絶、統合されてから30年以上たつのに、
まるで別の国のようです。

日帰りで、ミトーのメコン河クルーズ。河幅3km!
チベットを源に、中国雲南省、タイ・ラオス国境線、カンボジア、
そしてベトナム、と流れてきた大河です。

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「この浮き草は、カンボジアから流れてきました。」
「この土は、**(忘)のものです。」
さらには、「(上流である)中国に大きなダムができるので、
 政治的紛争にもつながる可能性もある」 とも。
ガイドさんの言葉、意識のもち方は、
陸続きの隣国をもたない平和ぼけ日本人の私には、
考えさせられるものがありました。

同じガイドさんから
「日本の橋落ちました。たくさんの人死にました。」
と言われたときは、返す言葉がなく胸が痛みました。
(昨年のカントー橋崩落事故)

中洲(と言っても、日本の感覚では、りっぱに「島」)にも上陸。

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   バナナは地元の人は喜ばないそう。どこにでも生るので。
   ハンモックで赤ちゃんがお昼寝。(かなりのスピードで揺れています)

統一会堂、ホーチミン市博物館などへも行きました。
1966年生まれのガイドさんは、
終戦の75年、9歳までを防空壕ですごしたそう。
戦中に生まれ、それからずーっと!です。
はじめてベッドで寝た夜の、手足を伸ばす気持ちよさ、
星空の美しさを、今でも忘れないと話してくれました。
統一会堂内を案内してくれる間
「ホーチミンさんのおかげ」というフレーズが
10回以上出てきました。
このガイドさんに限らず、市民共通の思いのようです。

ハノイと比べて、バイクが多いことは同じですが、
排気ガスはぐんとましです。
市街は、歩道があり、車もクラクション鳴らしっぱなしという
ほどではないので、ハノイに比べると街歩きしやすいです。

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とはいえ、バイク、シクロ、車が混然となっているので、横断は大変。

バイクは大人2人乗りOK。+子ども可。
(ハノイのガイドさんは、「子ども無制限」と言ってましたが
 真偽不明。)
うまくすすめば、年内着工8年後には地下鉄が通り
バイクの市街地への乗り入れはできなくなるとのこと。

ベトナム(ホーチミンだけ?)では、
教養として社交ダンスを習うのだそうです。
夜、バスの車窓から、公民館のような建物の広いテラスで
大勢の男女がレッスンしている様子を見ました。
いろんな行事の折々に踊るのだそうで、素敵ですね。

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  映画館。ホラー、ラブストーリー、コメディなど多彩。

まだ続きます。多分、あと1回。

シンチャオ!(ベトナム紀行2 ハロン湾、ハノイ)


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ハロン湾クルーズ。
世界遺産にも指定されている素晴らしい眺めです。

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巨大な鍾乳洞は、色とりどりにライトアップされすぎているのが
ちょっとディズニーランドを思わせました。

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                 波の浸食でできた奇岩群 キス?

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生活の場でもある船は、船尾に洗濯物が干されていたり。
バケツで水を汲み上げて水浴びしている人もいました。

乗ったのは、船内で食事も出す比較的大きな船なので
甲板に雨水をためる大きな水タンクがあり、
小さなキッチン、トイレが備え付けられていました。
運転席にマットレスがあったので、ここが寝室になるのかも。

湾の中には、船で暮らす人たちの学校(=船、巨大ないかだみたいな)
も浮かんでいました。

ハノイの市街と郊外を結ぶ高速道路(車専用でなくバイクも人も通る)
の路上で、パン(バゲット)を売る人をよく見ました。
郊外へ帰る人が買うのをねらっているのだそう。日本円で8円くらい。
かなりのほこりだと思うのですが…。

郊外では、水牛や牛をよく見かけます。
ハノイで(ベトナム全土?)猫の鳴き声は、「貧乏」という意味の
ベトナム語に聞こえるので、猫はあまり人気がないそうです。
犬は食べるのだそう。ほ、本当??

ハノイで観た水上人形劇。

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観光客向けで、地元の人はほとんど観ないそうですが、
面白かったです。
「水上」人形劇なのは、フォン河やメコン河など河や湾が多く、
水が、暮らしや農業に関わりが深いからなのでしょうか。
長い竿の先についた人形を、ステージ後の垂れ幕の陰から
水に浸かった状態で操るので、結構な重労働のはず。
なのに女性の人形師もいて、びっくりです。

ホーチミン編へつづく。